日々の暮らしに背を押され、春秋見失いながら悪戯に時は過ぎる。ちょっと辺りに足を伸ばせば、花咲き風ある歴史に満ちる古寺のあることも知らず人は無為に歳を重ねる。 我もまた同じかと思い、発起して古寺逍遥にでた。

粉河寺  和歌山県那珂郡粉河町

粉河寺 二十八部衆

粉河寺 二十八部衆

 以前、愛知県の大樹寺で知った幕末の絵師・冷泉為恭が、この粉河寺に暗殺者の手を逃れてきたと聞いて、どのような所かと訪ねた。冷泉のことは、大分前に漫画家の黒鉄ひろしさんがTVで話されていて興味があった。黒鉄さん は、暗殺者の大楽源太郎に興味を持たれていたと記憶する。紀ノ川沿いの粉河寺は壮大な伽藍で、国重文の建物を幾つも所有している。本堂に副住職を訪ねる。仏像も拝観したいとお願いすると「うちには大した仏像はありませ ん、自慢できるのは建物だけです」と謙遜して苦笑された。しかし本堂内に安置されている二十八部衆は良かった。

粉河寺 本堂

粉河寺 本堂

粉河寺 大門

粉河寺 大門

 確かに建物は見事だ。大門(国重文)は宝永4年(1707)、中門(国重文)は天保3年(1832)の再建、本堂(国重文)は享保5年(1720)の再建で、いずれも江戸中期の寺院建築として代表的な大建築である。本堂脇 の千手堂も国重文である。寺の創建は、宝亀元年(770)に大伴孔子古によってここに草庵が結ばれた時に始まる。

 知りたかった為恭のことは細かくは記されていなかった。当時の住職・願海が心蓮と名付けた為恭を匿ったと記されている。願海が寺を去ると、為恭も堺に向けて旅立ったという。そして天理の街道で浪士・大楽源太郎の手にかかっ て、短い命を閉じた。知ったのはそれだけだった。荷物をまとめて寺を辞すころ、空は鈍色で雪が落ちそうだった。為恭が寺を出る時もこの空の如く重く、心細いものであっただろうと思いながら大門を出た。

古寺春秋−文化財行脚−
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