高岡市
高岡は鋳物で栄えた街である。金屋町には、鋳物師たちが住んだという古い町並みが残っている。高岡の近代建築は、木舟町、小馬出町界隈と氷見に近い伏木地区に多く生きている。どちらも小さな町が集まって町並みを形成し ていて、ちょっと歩くと知らぬ間に町名が変わる。歩きまわっても1時間半もあれば足りる。高岡の近代建築の王様は何と言っても富山銀行だが、他にも小さな楽しめるものたちが多くいる。
富山銀行本店
(旧高岡共立銀行)
1915(T 4) 辰野金吾・田辺淳吉/清水組 守山町
県内でも屈指の近代洋風建築。辰野式ルネッサンス様式の銀行は、このあたりのランドマーク。 内部も会議室のステンドグラスなどが素敵なままで残されているようだ。探す手間のいらぬ街角の主役。 辰野の設計といわれていたが、田辺(清水組)と記されているものもあるので併記する。
井波屋仏具店
(旧林屋茶舗)
1905(M38) 不詳 守山町 ☆国登録文化財
基本的には前ミセ型の木造瓦葺の店舗併用住宅。正面の2連アーチは洋風だが、アーチ内の透かし彫りは唐草模様だったりして愉快。 町屋の擬洋風として貴重な例。
木下歯科医院
1923(T12) 増山利吉 源平町
増山利吉は地元の棟梁だろうか。デサインは施主の医師かも知れない。医師はほとんど東京の医学校などに行ったのでこの程度のデサインは大工より出来たに違いない。 こんな町角の医院は全国に沢山残っている。 M5のフィルムだけでも「近代医院建築集」が十分できる。
塩崎商店
1907(M40) 不詳 木舟町
広い交差点の角にある和洋折衷の建物。洋風部分は取ってつけたようなパラペット状だが、和風の顔は品良くまとまっていて道行く人の目を止めさせる。
大村三書堂印房
1934(S 9) 木村伊佐次郎 三番町
施工者も木村となっているから木村は大工だろう。建物の下半分はアーケードに断ち切られて見にくいがこの建物の見所は上半分の銅版葺の見事さである。 それにしてもくたびれたアーケードは街全体の印象を汚れた衰退の地と記憶させる。
高岡市伏木気象資料館
(旧伏木測候所)
1909(M42) 不詳 古国府町
伏木地区の中では傑出した近代洋風建築。伏木測候所は、わが国初の私立測候所として明治16年に設立された。 竣工時は望楼が載っていたが今はない。明治の木造測候所建築は全国的にも希少で価値が高い。本堂など国重文を持つ勝興寺の参道付近にある。
高岡市商工会議所伏木支所
(旧伏木銀行本店)
1910(M43) 不詳 伏木錦町 ☆国登録文化財
塗込土蔵造りの銀行建築だが、外壁はすべてスクラッチタイル。玄関ポーチ上の柱頭のデサインが面白い。
稲尾医院
1921(T10) 不詳 伏木本町
個人医院建築としてはスケールがある。下見板張り、ペンキ仕上げ。
高岡を出て国道8号線を東に30分ほどでのところにあるのが富山市。
富山市
富山市は、室町時代の文献に外山郷という名前で登場する。城下町としての基礎ができたのは、天正の頃である。 江戸時代に入ると加賀藩領となり慶長2年には前田利家の長男・利長が富山城に入った。寛永16年に次男・利次が富山藩を創設した。 明治16年、石川県より独立して富山県となる。富山市は大正末期から開発が進み、県庁、電気ビルなどの近代公共建築が建てられたが、昭和20年8月の大空襲により多くを失った。 富山市に近代建築が極めて少ないのはこのためで、宮城県仙台市なども同じ理由である。その希少な富山市の近代を歩いた。
富山県庁舎
1935(S10) 大熊喜邦 総曲輪1−7
国会議事堂を原型とした建物で、標準的な平面プランを持つ。外観はスクラッチタイルで、縦長の窓が整列しているモダニズム建築。華やかな意匠は全く見られない。
電気ビルディング旧館
1936(S11) 富永譲吉 桜橋通
富山は電源施設が多い。発電所だけでも大変な数である。明治末期に始まった電源開発は昭和初期になると発展し、多くの電力会社ができた。 その中の大手「日本電力会社」の本社の一部とホテルなどを併設してできたビル。今も街角で威容を誇る。
大和富山店
1932(S 7) 清水組 西町
直線的なシルエットが印象的なデパート。やや老朽化の感じが強いのは色と装飾性が少なさからだろう。
桜橋
1935(S10) 不詳 桜橋通 ☆国登録文化財
電気ビル近くに架かる石橋。鉄骨部分は後年?
昭和電工富山工場事務所
(現・昭和タイタニウム)
1936(S11) 不詳 西宮3
装飾は少ないが端整な事務所建築。敷地内に入れてもらえないので道路から眺めるのみ。
富岩運河水閘施設
(中島閘門)
1934(S 9) 不詳 中島 ☆国重要文化財
水位差が2.5mを調整するための、パナマ運河方式の閘門